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親方の略歴

現在の師匠、春日野親方(元・栃乃和歌)について略歴をご紹介します。

本名・綛田清隆(かせだ きよたか)。昭和37年5月22日生まれで、和歌山県海草郡下津町丸田の出身です。名前の「清隆」は、入門した当時の春日野親方(元横綱・栃錦)と全く同じですが、これは偶然ではなく、栃錦ファンの祖母生まれてくる孫に同じ名前を付けたいと言った事によるものです。


【写真】元栃乃和歌の幼少頃

 

小学校、中学校時代は野球に打ち込む毎日でした。高校は箕島高校に進学しましたが、この時に体格の良さと優れた運動神経に目をつけた相撲部監督に勧誘され、相撲を始めることになったのです。高校三年間は浅い相撲歴にも関わらず全国選抜大会で個人準優勝するなど、非凡なところを見せました。

進学の時期になると、当時はプロ入りの意志がなかったこともあり、明治大学へ進学。当時の明治大学はまさに「黄金時代」と呼ぶにふさわしいメンバーが揃っていて、稽古相手に不自由することなく四年間を過ごしました。結果、多くの実積を手土産に、大相撲の門を叩くことになったのです。

【写真】元栃乃和歌の学生相撲時代
 

「奮囲気が良く、大学時代から稽古をつけてもらっていたので…。」多くの部屋からの勧誘が殺到する中、春日野部屋を選び、昭和60年三月場所、幕下付け出しで角界デビュー。四股名は本名の綛田をそのまま名乗りました。二場所のみの負け越しで迎えた翌61年七月場所、西幕下2枚目で7戦全勝し、幕下優勝と十両昇進を同時に果たしたのです。

関取になったら四股名を命名する約束をしていた春日野親方は、部屋伝統の「栃」と和歌山県の「和歌」をつけ、「栃若時代」と語呂がダブらないように、間に「乃」を入れて「栃乃和歌」と決めました。

十両に昇進しても勢いは止まらず、新十両の場所で10勝5敗。二場所目の昭和61年十一月場所には、優勝決定戦を制しての十両優勝。翌62年初場所に新入幕を果たしました。

入幕した年の七月場所、早くも新小結に昇進。二人の大関を破っての初殊勲賞。続く九月場所は新関脇で迎え、この場所も8勝7敗と勝ち越し。中でも初日に横綱・双羽黒を破っての金星が光ります。その後の場所も、毎場所のように大関陣を倒して、幕内上位から三役に定着していました。

昭和63年十一月場所、膝の故障による休場で一時番付が下がった時期もありましたが、怪我の回復に伴って番付も戻り、再び上位で活躍するのにそう時間はかかりませんでした。

【写真】元栃乃和歌の現役時代
 

幕内上位で大関取りのチャンスをうかがう場所が続く中、足がかりになったのが平成4年三月場所でした。幕内優勝を争う12勝3敗(殊勲、技能ダブル受賞)の成績を上げ、翌五月場所に大関狙いの場所を迎えたのです。しかし不運にも場所前に「右ふくらはぎの筋断裂」の負傷を負って、残念ながら大関昇進は叶いませんでした。

幕内在位76場所。総成績525勝(うち金星4)。三役を17場所務めた栃乃和歌は、平成11年七月場所を最後に引退し、年寄竹縄を襲名しました。先代春日野親方の定年に伴い、平成15年2月に春日野を襲名。現在は、伝統ある春日野部屋の繁栄を絶やさぬ事と同時に、新たな歴史を刻むべく弟子の育成に情熱を注ぐ毎日です。

【写真】元栃乃和歌の現役時代

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