「奮囲気が良く、大学時代から稽古をつけてもらっていたので…。」多くの部屋からの勧誘が殺到する中、春日野部屋を選び、昭和60年三月場所、幕下付け出しで角界デビュー。四股名は本名の綛田をそのまま名乗りました。二場所のみの負け越しで迎えた翌61年七月場所、西幕下2枚目で7戦全勝し、幕下優勝と十両昇進を同時に果たしたのです。 関取になったら四股名を命名する約束をしていた春日野親方は、部屋伝統の「栃」と和歌山県の「和歌」をつけ、「栃若時代」と語呂がダブらないように、間に「乃」を入れて「栃乃和歌」と決めました。 十両に昇進しても勢いは止まらず、新十両の場所で10勝5敗。二場所目の昭和61年十一月場所には、優勝決定戦を制しての十両優勝。翌62年初場所に新入幕を果たしました。
入幕した年の七月場所、早くも新小結に昇進。二人の大関を破っての初殊勲賞。続く九月場所は新関脇で迎え、この場所も8勝7敗と勝ち越し。中でも初日に横綱・双羽黒を破っての金星が光ります。その後の場所も、毎場所のように大関陣を倒して、幕内上位から三役に定着していました。 昭和63年十一月場所、膝の故障による休場で一時番付が下がった時期もありましたが、怪我の回復に伴って番付も戻り、再び上位で活躍するのにそう時間はかかりませんでした。 |