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 平成二十年七月場所。
 木村山がついに幕内の土俵に上がる。
 場所直前の6月に行ったインタビューは、

 「しゃべればいいんですよね?」

 挨拶の直後、この、実に木村山らしい
 “先制攻撃”のひと言で幕を開いた。
 

 取材・文:今伏 龍

“右腕一本”で這い上がった幕内の土俵

木村山の“価値”が暴騰中だ。

昨年の七月場所(名古屋場所)では幕下西五枚目だった木村山が、ことしの七月場所には幕内力士として臨むのだ。一月場所で十両に昇進し、三月場所で十両優勝、五月場所でも11勝を挙げての幕内昇進と、半年(三場所)で十両を通過してしまったのである。

彼の中で、いったい何が「覚醒」したのだろうか。


木村山:
気持ちが強かったですね。
左腕をケガしてからしばらくは『左が使えないんだから、負けてもしょうがない』みたいな甘えがありました。それがこの一年は違った。
『左が使えないなら、右腕一本でも上がってやる』と思えるようになりました。

高校・大学相撲での目覚ましい活躍のすえに角界入り。最近の幕内力士に多い経歴だ。だが木村山の場合、「とんとん拍子の出世」とはお世辞にも言えない期間があった。「勝てば十両」という好機を数度逃しては、幕下に甘んじていた。

木村山:
結局、幕内まで4年かかりました。早くはなかったですね。ケガもしたし、部屋の後輩力士(栃煌山や栃ノ心)にも追い越された。

ぶっちゃけ、部屋に入るまでは『幕内まで2年もかからないだろう』って自信があったんです。でも入ってすぐ『違うな』と。まず稽古場でいきなり思い知らされましたね。加賀谷さん(栃翼)の強さにびっくりした。『ほんとかよ』って(笑)。

木村山守(きむらやま まもる)
昭和56年7月13日生まれ、和歌山県御坊市出身。本名:木村守(きむら まもる)。東洋大学相撲部を経て角界入り。平成十六年三月場所で初土俵、平成二十年一月場所から十両に昇進。同三月場所で十両優勝を飾り、続く五月場所でも勝ち越しを決めて入幕。七月場所には西前頭十二枚目で臨む。通算成績は126勝66敗7休(平成二十年五月場所終了時点)。身長180cm、体重162kg。


「すぐ幕内に」の自信を砕いた仲間とケガ
木村山
ただ稽古場のみんなが強かった、というのもあって。むしろ本場所の取組ではそこそこ勝てましたし、最初のケガまでは『まあ行けるだろう』と思ってたんですけどね。

確かに、“勝ち越し”ばかりが目立つ戦績だ。初土俵から平成20年五月場所までの25場所中、負け越し5場所、休場が1場所のみ。残り19場所を勝ち越しているのだ。

連続勝ち越しも目を引く。初土俵の平成16年五月場所から連続五場所を6勝1敗で勝ち越して、幕下中堅へと戦いの場を移した。平成17年十一月場所からも五場所連続で勝ち越し。平成18年の九月場所は東の幕下筆頭で迎えた。

だが、ここで2勝5敗。翌十一月場所はケガの治療のため休場と足踏みする。


木村山
ケガはほんとにつらかったですね。食事したり、服着たりの日常生活をするのもつらいのに、相撲なんか取れるかよ、って気持ちで。

とはいえ、休場明けの平成19年一月場所からも、6場所連続で勝ち越している。それでも木村山の胸中は晴れやかではなかったという。

木村山
勝ち越しはしてても、気持ちはつらかった。『相撲を辞めたいな』じゃなくって、何度も真剣に『辞めよう』と思ってた。2年前くらいかな。それから半年くらいは、そんなことばっかり考えてました。
停滞、倦怠…そして闘志ふたたび
木村山
結局、辞めはしませんでしたけど、ぐうたらしてましたね。ちょうどラクになってきた頃だったんですよ、相撲も、部屋での生活も。後輩も増えて、雑用も減って。完全にナメてた時期でしたね。

まわりにもそれはバレバレで。真剣に怒られたり、アドバイスをもらったりもしましたけど、それすらもあまり聞いてなくて。稽古も、人の話も、なんでも『テキトー、テキトー』で。ほんとにどうしようもない奴でした(笑)。

それが少しずつ変わりだした。
平成19年、幕下上位で臨んだ七月場所と九月場所は勝ち越しこそしたものの、4勝3敗という成績で十両昇進には至らず。この悔しさが木村山に深く突き刺さったようだ。その棘(トゲ)は彼を腐らせるのではなく、冒頭で明かしてくれた「心の強さ」として結実する。


木村山
もともと我慢強くないんですよ。いや、“我慢弱い”(笑)。何をやっても、すぐあきらめる、投げやりになるタイプで。
それが最近は、熱中するものはすぐ熱中できるようになって。精神的には強くなったと思う。

西の幕下筆頭で迎えた平成19年十一月場所で木村山は6勝1敗の成績を収め、平成20年一月場所で栃ノ心とともに十両昇進を果たした。


十両陥落寸前の窮地から優勝を果たす
“幕下と十両では天と地ほどの差がある”とはよく言われる。木村山にとっての“天と地の差”はいかほどのものだったのか。

木村山
それが案外、相撲はあまり変わらなかったですね。1場所7番とればよかったのが15番になる、その違いだけかな。 ただ15日連続でとるのはやっぱりキツいですね。精神的につらい。

結果、最初の十両場所は6勝9敗。負け越しに終わった。壁にぶち当たったかたちだ。一方で、同時に十両昇進した栃ノ心は、いきなり十両優勝を果たした。

くっきり明暗のわかれたふたりの、“暗”のほう。そんな木村山を、少々気の重いイベントが待っていた。木村山と栃ノ心の十両昇進祝賀会が、場所後に開かれたのである。


木村山
もうね、かたや優勝、かたや負け越しでしょう? さみしいもんでしたよ(笑)。肩身が狭いったらなかったですね。

ただ、この負け越しは、ようやく掴んだ十両の地位への執着として残った。

木村山
『落ちたくない』って強く思いましたね。はじめは『落ちたらどうしよう』って心配でしかたなかったんですけど、『落ちたくなかったら、次は8番勝つしかない』って、全部プラスに考えるようになりました。

勝っても驕らず、負けても臆せず
結果、三月場所では12勝をもぎとっての十両優勝。それも初日からの四連勝、一敗を喫したものの、そこからまた六連勝と、胸のすく展開での快挙だ。「プラス思考」が、そのままプラスの結果になり返ってきた。

木村山
取組の直前はあんまり緊張しないんですけど、前日にくよくよするほうだったんです。『イメージトレーニング』っていうんですか? あれ、ダメ(笑)。寝る前に『あしたどうしようか』って考えると、全然寝られない。
『じゃあ、イメージするのやめよう』と思ったら、すぐ寝られるようになりました。もうぐっすり(笑)。

ここで気づかされるのが、木村山の気持ちの切り替えのうまさだ。いや、うますぎる。悩んでいたことを他人事のように切り捨て、笑い飛ばして忘れられるというのだ。

木村山
取組で負けても、翌日には持ち越さないですね。負けたら花道歩いて戻って、おふろ入って、支度部屋出て、国技館出たら、たいてい忘れちゃう(笑)。

それでもちょっと心に残ってるときは、歩きながら『♪あ〜、負けた〜、負けた〜』なんて歌って、忘れる。歌ってると付け人の栃ノ島に『やめた方がいいですよ』『もう大人なんですから』なんて注意されるんですけどね(笑)。

逆に勝っても、うれしさはあんまり出さないですね。『よかった、よかった』くらいで受け止めて。


見る者を魅了する“矛盾だらけの男”
「なるほど、では験(ゲン)を担いだりはしないほうなのか」と相づちをうつと、意表を突くこたえが返ってきた。

木村山
めっちゃかつぎます!
まずね、部屋を出て国技館行くときに、ひとつめの信号が赤だと『ああ、もうダメだ…』とか(笑)。

逆に連勝もこわいですね。あんまり勝ってると『いつ負けるんだろう…』と思っちゃうんですよ。五月場所も初日から七連勝して『あしたはヤバい、あしたはヤバい…!』と思ってたら、ほんとに負けました(笑)。

楽天家と思えば心配性。豪胆かと思えば繊細。話し相手としては実に楽しいが、つかみどころのない男だ。

尋ねる度に“そう来るか”と裏をかく言葉を即、打ち返してくる。真剣なまなざしで重く語り始めた言葉を、豪快な笑顔で締めくくる。丸っこい眼(まなこ)が放つ視線は相手の目をまっすぐとらえ決して逸らさないが、顔じゅうをギュッとしかめるような独特の笑顔でしょっちゅう中断される。

木村山の巨躯から放たれるすべてが、快い意外性に満ちている。



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付け人が見た木村山
よく「こわい?」って聞かれるんですけど(笑)全然そんなことはないです。
むしろやさしいし、とにかく明るい方なので、一緒にいると楽しい気分にさせてくれます。

面倒もよく見てくださいますよ。ごはんやおやつをおごっていただいたり。マックとか、コンビニで(笑)。

栃ノ島
兄弟子が見た木村山
栃煌山、栃ノ心、木村山で「誰が強いか」は別として、「誰が横綱・朝青龍に勝ちうるか」で考えるならば断然、木村山ですね。

力相撲の2人は、今の横綱の力にはまだまだ到底及びません。でも、ほんの一瞬の勝ち目をぱっと掴める木村山なら「もしや」と期待したくなりますね。

竹縄親方<元 栃栄>)
 
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